会社辞めてサラリーマン卒業
「人生自分で変えてやる!」
自分の人生じゃん。好きに生きて何がワルい!
そう強く心に思って会社を辞めてサラリーマンを卒業したのだ。
会社を辞めて、今はブログを書いてネットから収入を得ると決めて1人で頑張っている!
- 1)市立小学校卒業
- 2)市立中学校卒業
- 3)県立工業高校卒業
- 2年生の時 ー 17歳なのに高血圧症と診断される
- 4)一般企業に就職しサラリーマンに変身!
- 5) 25歳結婚
- 6) 30歳 一児の父親になる
- 7)サラリーマンからフリーマンに変身!
- 8)Googleストリートビューのカメラマン
- 9)節電プレート販売員
- ハワイへ販売出張
- 10)写真展・イベントスタッフ
- 聖体礼拝スタッフ
- 隠れキリシタン写真展スタッフ
- 11)webサイト作る勉強
- 12)ブロガー(←今ここ)
ボクの経歴は、労働者1直線!の経歴だった。
労働者として何も考えずに、人生を送ってきたことがわかると思うけど、ボクの人生で一番の決心したのはサラリーマンからフリーマンに変身したとこと!
以下は個人的なことなので興味がある人だけ読んで下さい。
サラリーマンからフリーマンに変身!
ブログに出会ったのは、Facebookに流れてきた投稿に「ブログで人生を変えるセミナー」を発見した時だった。
迷わず参加ボタンをクリックしてそのセミナーに参加した。
そのセミナーでは、ブログで情報を発信する効果で人生が変わる事を教えてくれた。
実際にボクは、「ブログで人生を変えるセミナー」で1年と7ヶ月後にサラリーマンを辞めることができたのです。
思い出すと2012年の春頃、職場に優秀な部下が配属された。
するとボクはこの優秀な部下に仕事を全部任せられるから、会社でサラリーマンをやっている必要がないことに気付いたんです。
サラリーマンをやっている必要がないと感じたら、あるとき「オマエ、早く何かしろ!」って誰かに背中を押されている感じがしたんだ。
まずは副業からだ!と思って、労働者としての経歴しかないボクは、体力と時間を副業に投下することしか思い浮かばず、アルバイト雑誌で探して牛乳配達と、アイロン掛けのアルバイトを始めた。
副業なのでサラリーマンとの掛け持ちだ。
深夜から早朝の牛乳配達と、日曜祝日のアイロン掛けのアルバイトは始めて6ヶ月間くらいは楽しかった。
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サラリーマン物語
県立の工業高校を無事に卒業して、昭和58年に入社して34年間サラリーマンとして働きました。
サラリーマンからフリーマンに変身!したのは52歳の時でした。
退職に踏み切った1番の理由は、会社の体質と言うか上司達の人間性に共感できなかったことですね。
自身の保身ばかり考えている上司でした。
3人の上司が3人とも自分のことだけを考えていたから、「こいつらのために自分の残り少ない人生を使えない!」と感じたらいてもたってもいられなくなって1年後に、上司に退職すると口頭で相談しました。
上司のことが信用できなくなるエピソードがあるんです。
上司が部下の成果を自分の手柄にするのは、まだ我慢できるけど、自分のミスを部下の責任といして、社長に報告するなんてことがあったら、「オレ、こいつの下で人生を捧げていいのか?」と思いますよね。
あるとき社長から直接ボクに電話が掛かってきて
「お前、勝手なことしやがって責任取れ!今度やったらどうなるか覚えておけ!」
って電話の向こうで怒ってるんですよ。しかも夜の8時過ぎです。
その時ボクは正直に「ボクはやっていないです」と言えばよかったのかな?って思ったけど、電話口でつばを飛ばして大声で怒鳴る社長に呆れて言葉が出なかったのが、正直な感想です。
サラリーマンの仕事
ボクは高卒なので工場勤務の仕事で、顔も手も黒く汚れて、砂でザラザラになる仕事でした。
入社した会社は、日本に同業他社が合計3社しかいない特殊な業種だったので、忙しい日々が続いていました。
自動車の製造に関係する仕事で、世界中の自動車製造に関わっていたから、毎日残業続きでした。
平日の夕食は自宅で取ったことは数えるくらいしかないです。
昭和時代の終わりの昭和58年頃なので、「ブラック企業」という言葉はない時代でした。
「ブラック企業」の前に「3K企業」が流行りました。
- 汚い
- 危険
- きつい
昭和時代の労働者だから、帰宅後のビールを飲むことだけを楽しみにサラリーマンを続けていました。
ボクが工業高校時代は、卒業後に大学に進学する人はクラスで10人位で、他は全員就職と言う時代でした。
今では工業高校を卒業しても、大学や専門学校に進学する人が多くなっていると思うけど、ぼくの時代は工業高校を卒業して就職することは、言ってみれば動く歩道に乗っている状態だったです。
エスカレーターじゃなくて動く歩道です。上に行くのではなくて、横に移動する動く歩道です。
高校に入るのもボクなりに精一杯努力してようやく入ることができた、県立高校だったので就職するのも誰も疑わない自然の成り行きだったです。
そんな会社を良くしようと、会議で発言して仕組みなどを変えようとボクは声を出したのですが、誰も聞く耳を持たず・・・
社員達は怪しい新興宗教にでも入信しているかのような雰囲気でした。
「現状を変えよう!」といっても信者からはボクは変人扱いでした。
自分の道を歩むことを決めた
50歳を過ぎると老眼や白髪が目立ってきて老化を実感できます。
人生の終わりが見てきてます。
このままこの会社でサラリーマンを続けても何も成長しないんだろうなってことは上司を見ればよくわかります。
将来に危機を感じたぼくは、自己啓発セミナーに参加して将来に向けて頑張っている方々にあって刺激を受けました。
自己啓発セミナーで受けてた講義やディスカッションで「自分の人生だから自分で動かしたい」そう思うようになりました。
セミナーヲタクだった頃にブログで情報発信セミナーに参加した時も「どんな人生を求めているか?」と質問されることもあって、自分の人生について考えることが多くなりました。
自分の人生を前向きに捉えられるようになってきました。
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いよいよサラリーマンを辞める
退職日は決めたのですが、延期 延期 延期 でズルズル伸ばしていました。
伸ばし続けても自分の人生のチャンスが少なくなるだけなので、夏のボーナスを支給されたタイミングで退職願を上司に提出しました。
今日絶対に退職願を上司に提出するぞと決めて上司が余裕があるタイミングを待っていたら、
帰宅時間の直前になってしまいました。
上司は「なんだ急に?」とびっくりしてましたが少し話をして承認を頂けました。
話の中では「お前にはこの仕事をやって欲しい昇級も考えている」と軽く引き止められましたが、そんなこと今更言われても気持ちは1ミクロンも動きません。
これでサラリーマン卒業が決まった!
その後2ヶ月後のサラリーマン最終日は、全体の朝礼で挨拶してから朝礼に参加していない人たちに挨拶しました。
やったー!サラリーマン卒業だ!とガッツポーズでお世話になった職場を後にしました。
サラリーマン最後の挨拶は何を言おうか考えた挙げ句・・・
「今日で退職することになりました。世界で大活躍の技術を持った会社で働くことが出来て光栄でした。長い間お世話になりました。皆さんお身体に気をつけて下さい!ありがとうございました。」
と挨拶しました。格好いい挨拶ですよね!自己満足だけど・・・